世に「偶然」と称するものは多々あります。
しかし、ぼくとしては、あのときのあの出会いだけに「偶然」を使いたい。
でなければ、これほど沢山の手紙を書きつづけてきた理由が
わかりません。
ぱあっと、情景が浮かぶ本でした。
たとえば、桃を切る感触、
古びたコンクリートの階段をのぼっていく時の反響する音、
封筒や便箋など、紙の手ざわりや遠くで聞こえる犬の鳴き声・・・
これは消えゆく音を収集する「ささやかな冒険譚」で、
読まれない手紙を送りつづける話でもあります。
ふっと空へとびたっていくような、
楽曲がふととぎれたような終りかたが、印象に残りました。
手紙といえば、かかせないのは封筒と便箋。
この本には、著者の祖父が15年以上にわたり作っていた
封筒が、カタログのように収められています。
最初は指を動かす目的もあったそうですが、
身近にあるあらゆる紙を使った何枚もの封筒は、
アートのようにも見えました。
アートとそれ以外のものに、境界線はあるのでしょうか。
こちらは、現代アートとして作られた空間です。
場所は、香川県の粟島。
そこにある小さな郵便局は、
「いつかのどこかのだれか」にあてた手紙が集まる場所。
もういなくなってしまった人にも、
これから生まれてくる人にも、
愛犬やボイジャー1号にも・・・
届けたいと思った祈りに似た気持ちが形となり、
この場所にやってきました。
この本の中では、漂流郵便局ができるまでの道のりや
実際の手紙、エピソードなどもたくさん紹介されていて、
いつか行ってみたいものだと思いました。
この場所を作った人、つまり著者にもまた
なみなみならぬバイタリティを感じます。