さて、新年度最初の更新です。
運動会とか体育の授業とかで、走ることはこれまでも
それなりにありましたが、それを「楽しい」と思ったことは
ほとんどなかったように思います。
苦しくて口で息をしてしまい喉が痛くなる。
脇腹が痛くなる。汗が吹き出る。
そうして決まった距離を走り終え、地面にへたりこむ。
だから、日常的に走っている人の気持ちというものが
よくわからなかったのですが、
この本を読んで少しわかった気がします。
運動なんて嫌い。
走ることも好きじゃない。
それでも著者は走っています。
ヨガやボルダリングなどをしてみる回もありますが、
主に書かれているのは走ることです。
山で舗装されていない道を走ったり、旅行先で走ったり、
大会に参加したり。
思えば、小説も書きつづけなければ終わらないものですよね。
ということは、マラソンランナーは小説も書ける・・・のかもしれません。
人によっては。
この本の中では、旅行をしたときに走るための靴を荷物に入れておき、
知らない土地を走る楽しさを書いていたのが印象的でした。
もう走ることが好きなんじゃないかと思ってしまいますが、
本人も言っているようにそういうわけではないんでしょうね。
だけど、走ることに誠実であると思いました。
やらなくてもいいのに、フルマラソンをこのタイムで走りたい、
歩かずに走りきりたい、と思うこと。
走ることが好きとは言いきれないけれど、
走っていない自分が想像できない。
そんな描写が印象に残ったのは、こちらです。
箱根駅伝を走りたい――そんな灰二の想いが、天才ランナー走と出会って動き出す。「駅伝」って何? 走るってどういうことなんだ? 十人の個性あふれるメンバーが、長距離を走ること(=生きること)に夢中で突き進む。自分の限界に挑戦し、ゴールを目指して襷を繋ぐことで、仲間と繋がっていく……風を感じて、走れ! 「速く」ではなく「強く」――純度100パーセントの疾走青春小説。
箱根駅伝、といえば私にとって
お正月にTVで流されているもの、というくらいの認識だったので
そもそも予選があるものなのか、
そこに参加するにも資格がいるのか、といちいち驚きました。
1つのものにメンバーが違う視点で向かっていくところも、
それからのつきあい方の違いも、
それぞれの選択を世界が肯定しているような。
きらきらしいものを感じました。
走り始めて25年、7万5000キロ以上の距離を
走りつづけているのは、こちら。
「走ることが性に合っていた」
この4半世紀ばかりを、著者がどう生きてきたか、
走ることを中心に書いています。
僕のようなランナーにとってまず重要なことは、
ひとつひとつのゴールを自分の脚で確実に走り抜けていくことだ。
尽くすべき力は尽くした、耐えるべきは耐えたと、
自分なりに納得することである。
お店の経営でも旅行でも、
何かを長いこと工夫しながらやっていれば自分なりの形ができるし、
他のことにも適用されていくのだと思いました。
そういえば、村上春樹の他の本で
ギリシャでの話を書いたものがありました。
そこはすごく田舎だから、趣味で走っているひとなんか全然いない。
だから自分が走っていると、その辺の農家で飼っている犬がすごく見てくる・・・
ということが書いてあったように思います。