振り返る人はたいていの場合、「振り返っている自分」に酔いがちで、見ているほうは「勝手に振り返れ」と言いたくもなる。大事なのは「成長」だ。人はいつまでも子どもでいるわけにはいかないのだし、成長し、社会化され、それと引き替えにべつのものを失う。あたりまえじゃないか。
横光利一の短篇小説「機械」を、著者が読む。
11年2ヶ月という時間をかけて、読みつくす。
その過程を描いた本です。
こんなにこの話を味わい尽くした人はいないんじゃないだろうか。
小説に限らず、創作物はなんでもそうだと思いますが、「読む」(あるいは「見る」「聞く」)という行為を終え、作品が心の中に入ってきてからがむしろ本番というか、するめのようにいつまでも噛んで楽しめる。
一冊の本を読むという行いは、ある意味では、そのひとが死ぬまで終わることのない行いだとも言えると思うのです。
まずは読まずに、うろ覚えの記憶をたよりに4人が語り、
読んだ後に語る。
読書の楽しみは、読むということが前提としてあるわけですが
そうではない楽しさもあるのだな・・・と、可能性を感じました。
また読み返したくなってしまいました。